Profil


 「有名になった音楽家や小説家が、無名の頃にはどういったプロフィールを掲げていたのか教えてくれ、それをまとめた本を出してくれ」というのが今の私の実直な気持です。無名の者のプロフィール(私のホームページではprofileではなくてこの英語の語源となったフランス語のprofilを掲げていますが)などなんの役に立つのでしょうか。役目があったとしても飲み屋での会話の切っ掛けくらいでしょう「〜出身なんだ」「そうなんだ、じゃあ 〜がさ」と言った具合に(それだって十分に大したものですけれど)。とここまで読み進めて頂いて分かるように、私はプロフィール/プロファイルを略歴という日本語に翻訳してそれを語っているわけですが、そもそもprofil/profileという仏語/英語はどう訳すのが正しいのでしょうか、というよりもいくつかの選択肢のなかから1つの言葉を選び、その言葉を使って自分を語ろうとした時点で既にその人のある一面を語っていると言ったほうが物事をよりただしく表現しているのではないでしょうか。profilの原義とされている横顔という言葉に訳すのか、そこから発生した側面、輪郭、人物評、分析、断面図、自己紹介、個人情報という言葉を使うのか。更に踏み込んで言及するとプロフィールというものは自分自身で書いても良いものなのでしょうか。横顔とは自分で観るものではありません。横顔とは他人が観ている自分の顔の角度のことです。映画やドラマに出てくる特殊捜査官(アメリカのCIAやFBI及びそれをモデルにした組織に所属する捜査官)は犯罪者(テロリスト、爆弾魔、大量殺人犯、強姦魔、コミカルなところでは大ドロボウ)に対して生い立ちやその犯罪傾向を分析/推理します、この行為はプロファイリングと呼ばれていますが、これだってある1人の人間の横顔が他人の手により描かれることです。それを自分自身にするとなると、まるでフロイト流の精神分析を自分に対して行うのと同じことであり、これに対してはフロイトも上手くはいかないと言っています。

 さてその上でプロフィール/profile/profilを日本語で表現するために略歴という言葉を選択し、更にその略歴を有名となった人物はその過去である無名時代にはどう扱っていたのか想像してみましょう。一番スマートな方法はやはり無名時代にはプロフィールを書かないというものです。さきほど私は無名の者のプロフィールはなんの役にも立たないと書きました、そして自分でプロフィールを書くという行為自体に矛盾があるとも書きました(世間はこれを良く知っているから就職や商いごとにおける契約の際にはコネを、あるいはアメリカの映画やドラマでよく観ることがある元上司の紹介状などを重要視するのでしょう)。そうなれば無名時代には略歴を書かないほうが良いということになります。あるいは略歴とは略した履歴や遍歴のことですから(経験がいまだに少ないから)それを書けないというのも正しいです。しかし一旦は略歴を書いてしまったとなったら後に世に出るような人物であってもその無名時代のものは他の人々と変らないものだったのではないでしょうか。つまり自分の人生を言葉で記述する際に起る無意識的なものから意図を持ってしての大小の記憶の改変と、些細なものから経歴詐称と言ってもいいほどの嘘を交えながら自分のことをなんとかそれらしく(音楽家ならばいっぱしの音楽家として、小説家ならば魅力ある小説を書く者として、その他にも各々の職業をそれなりに全うしている人間として)書こうとしたのではないかということです。経歴詐称と呼べるほどの嘘はそれをつく瞬間もそれを人が信じる瞬間も、そしてそれが剥がされていく瞬間もどれも悲しくまた喜劇的なものなのでこの欄(プロフィール)で扱うのには大き過ぎるものなのでこれ以上は触れませんが、その他の小さな嘘には言及することができます。

 いま私は資料を参考にせずこの文章を書いているので記憶だよりの文章になりますが、NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔さんが面白いことをその著書で書いていました。それはプロフィールではどこまでの嘘が許されるのかというもので、ここで言う許されるとは可愛げがあるのかどうかというくらいの意味ですが、茂木さんは音楽家として自身の略歴を何度も書きながら、また多くの音楽家のそれを見てきた、そういう音楽家人生を過されてきたなかで音楽家のプロフィールについての考察を(ユーモラスでもって)書いたのです。例えば著名な音楽家の弟子についたり、大学や個人学校で実際に楽器演奏などを教わっていれば「〜に音楽教育を師事し」とか「〜の下で楽器演奏を学び」と略歴に書くことには嘘偽りがありません。ですが例えばその教わった期間というのが一夏限りの特別講習やあるいは短期間の日曜学校や市民センターでの生涯学習のような場合では略歴に同じことを書くことには嘘があるのでしょうか?期間や場所や規模はどうあれ確かにその人から教育を受けているわけですから、それに関する嘘はありません。ですが堂々と「師事し」とか「の下で学び」などと書けるのでしょうか?プロフィールに書かれる別の言葉に薫陶を受けるというものがあります。意味は感化されるという意味ですが、例えばそれがある音楽家から正式な教育は受けたことがなくともご近所さんで、近隣住人として接し実生活で可愛がられよくコンサートに行った、悲しいことにその音楽家は私(プロフィールの記述者)が幼少のころに亡くなってしまったが、彼の影響を受けて音楽を始めたとなればそれは紛れも無く薫陶を受けたことになるでしょう。そこからグッと距離を広げてコンサートに行った際に音楽家とは面識は無かったのだが知人から紹介され、そこで聴いた話に感銘を受けたというのはどうでしょうか?ぎりぎり薫陶を受けたことになるのでしょうか?それとも薫陶を受けるとは感化されれば良いわけですから、面識は一切なくとも夜な夜なその音楽家の音楽を自宅で聴いていたという場合でも薫陶を〜と書いて良いのでしょうか?とこんな具合に茂木さんは音楽家のプロフィール事情について書かれていました。つまりこれはカジュアルに言えばプロフィールとはほぼ必ず盛られるものだ、特に無名のうちは。ということの(茂木さんの経験を通した空想実験を使って表現した)証左でもあります。そして無名の私は悩むのです、私はなにをプロフィールに書けば良いのだろうか?


 ホームページに自分の意志でprofilの項目を作っておいてそう悩むのは明らかなマッチポンプです(大昔から現在に至るまでの詐欺師や昨今のネット界隈で拡散する文章を書く人が良く使う手段です・笑。項目を勝手に作っておいて、それに対して勝手に悩むという手段。項目を作らなければ初めから悩む必要など無いわけです)。プロフィールを表す方法には作品を渡すという方法もあります。音楽家ならばコンサートに招待したり音源を渡したり、小説家や漫画家ならば本を手渡す、多くの職業ではインターン期間というものになるでしょうか、とにかく言葉ではなく行動や実作品で自身を紹介する、それ以外は語らないという手法です。と書いた所でお判りのとおり私はこの方法を通じていまこのようにこれをお読みのあなたに私のことを紹介し終えました。以上の文章自体が私の紹介です。経歴詐称はしていませんが(しようがない・うはは)、1つ嘘をついています。その嘘とは私はプロフィール/profile/profilを略歴と捉えると書きましたが、通常の略歴には必ず書かれるべき生まれのことも育ちのこともこの文章には書いていないということです。つまりだから略歴には一切なっていないという嘘です。もしこの文章をお楽しみ頂けたのならば、小説は「calmant doux pour la dépression.」(カルマン ドゥー プール ラ デプレシオン)という題名のブログに、批評や日記は「gris homme」(グリソム)という題名のブログに掲載していますのでそちらも合わせてお楽しみ頂ければ幸いです。また今回ホームページを開設するにあたり少々の戯れそして私自身の無意識への精神的な実験として私が撮影し加工した写真を掲載するphotoのページを作りました。よろしければこちらもご観覧ください。個人ツイッター(アカウント名:torasang001)も運営しています。各ブログとphotoへはこのページ上部のメニュー部分、それぞれの題名がついたページから行くことができ、ツイッターへは同じく上部にあるcontactから行くことができます。




略歴/profil

虎山 元紀 (とらさん/とらやま もとき)


 東京都小平市(生家の近くに玉川上水が流れていて、よくザリガニ釣りをしたものですが、のちにそこが太宰治が入水した場所だと知って驚いた覚えがあります・笑)に産まれる。その後は千葉県の富里町(現在は富里市なのですが、私が住んでいたころはまだ町でした。千葉県の地理に疎い方(つまり日本人の大半ですが・笑)に説明すると富里は成田空港がある成田市に隣接している町です。当時の私にはご両親がレストラン経営をしていた学友がいたのですが、彼の自宅(一階がレストランで2階が家族の居住スペース)に遊びにいくと全ての客が空港に関連する職業につく白人ばかりだったことがあり驚いた経験があります)や、神奈川の川崎市などに引越し、住み、そこから世田谷にある学校(国士舘。私はこの当時パンクバンドをやっていたような大人しい少年だったのですが、先輩に学校の寮につれて行かれた際に、共有のロッカーから立派な特攻服が出てきて驚きました・笑)に通っていました。二十歳頃から八王子に居を移し、現在も住んでいます(八王子でも驚く経験を沢山したのですが、いま現在も住んでいるので、この欄では書けません・笑)。

 音楽活動を始めたのは14歳のころにギターを購入してからです。誰かの音楽に感銘を受けてギターを手に取ったわけでもなく、なんとなくやってみようかなと思い行動に移したのが全ての始まりでした。その後は独学で演奏を学び、高校生の頃に同学校の先輩(ベース&ボーカル)と別の女子校の女の子(ドラマー)とパンクバンド(いわゆるメロコアバンドですけれど)を組み、解散後はジャズギターの先生に師事しました。メロディックハードコアというパンクの1ジャンルを発展させブームを巻き起こしたバンドのHi-Standard。そのギタリスト横山健さんは様々なジャンルの音楽を愛しており、彼を通じて私も(当時の多くのギター少年と同じように氏に薫陶を受けて)色々なジャンルの音楽を知ったのです。そのなかにジャズもあり、私はその音楽を心惹かれ始めたのです。そしてジャズギタリストの先生に師事し、ジャズを覚えていきました。ですから私の本分というものがあるのならばそれは半分はパンクミュージシャン/半分はジャズメンです(両方とも、壊滅的に短命だった人も、愉快に長生きした人も多いジャンルです・笑)。

 その後は師匠についてアルコールを出す店で演奏をしたり、定期ライブに出演したり、あるギターメイカー(もうそちらの商売は撤退してしまったのですが)のプロモーション活動用の動画に出演しました。その後はギターのほかにサックスの演奏もし始めました。やっていた音楽がジャズですから、物理的にも精神的にもサックスは距離が近い楽器だったのです。具体的にいうとタダでテナーサックスが私の手元にやってきたのです(笑)。その後は音楽をアメリカ、パリでご活躍されスウェーデン王立音楽院の講師、エクアドルの国立交響楽団の音楽監督をなされたヴァイオリニスト/作曲家の前田ただしさんに、楽理を音楽家/文筆家の菊地成孔さんに学んでいます。現在はサックスの演奏などもお教えしています。


 文章の方は音楽活動に付随する形で始めました。ネット上の活動は既に閉鎖したサイト/ブログと「calmant doux pour la dépression.」と「gris homme」を合わせるとブログは4つにホームページは2つ運営してきた(していく)ことになります。という通常の体裁を整えた略歴を記しましたが……ああ、やはり。無名の人間の略歴はつまらないし役に立たない(うはは)。